2007年08月07日

子育て支援系NPOとCSR

『子ども虐待という第四の発達障害』を図書館に返却に行ったら、『子どもたちの叫び 児童虐待、アスペルガー症候群の現実』が新刊の棚に置かれていた。イモヅル式に借りて来て読んではみたのだが、こちらは安直なワイドショーで殺人事件を見た時のような後味の悪さが強く残った。


内野 真, オザキ ミオ, モバイル・コミュニケーション・ファンド / エヌティティ出版(2007/03)
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サブタイトルに「現実」がつくのはどうかな
自分とは関係のない話しではない

この本を読んだ数日後、友人に、まるで本の内容の一部をなぞるかのような「実体験」を告白され内心唸った。その友人にこの本があることを伝えられなかった。「この本は虐待児やアスペルガーの子ども本人、あるいはその家族達の助けにはなるとは思えない」と感じたからだ。Amazon の書評にも似たような意見を見つけた。

『子どもたちの叫び』はモバイル・コミュニケーション・ファンドが出資して作られた本だ。先日届いたオルタナに「尖ったCSR」なんつうカッコ良さげな言葉が載っていたが、こんなにチリチリと心が痛い尖りなら、横並びCSRのほうがマシなんじゃないか?

だがしかし、子どもの虐待防止や発達支援に関わるNPO団体は、資金繰りのために企業のCSR活動と提携するような社会的な動きが盛んになっているので、企業のCSR担当が助成対象事業の社会的な価値を見極めることが難しい状況になってきているのではないかとも思う。
資金を出せる者が、倫理観を打ち出せる者であってほしい。

2007年08月06日

虐待とレジリアンシー

実践障害児教育での杉山登志郎氏の連載が1冊の本になって発行された。
一気に読めてしまう、というより「グイグイと読まされてしまう」本だ。


杉山 登志郎 / 学習研究社(2007/04)
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一生涯に及ぶ影響を与える虐待

この本には虐待を倫理的な側面から裁くような苦さはない。人情に訴えて「かわいそう」とか「許せない」とか、そういうレベルで虐待を語っていないので、げんなりすることなく読める。

子ども虐待症例(総数575名)に認められた問題の中で最も高いポイントであったものは「解離性障害」で59%。12歳以上では81%にもなるのだそうだ。

「子ども虐待は保護をすればそれで終わり」あるいは「虐待の心の傷に対しては心理治療を行えば十分」。もしそのような誤解が一般的に広まっているのであるとしたら大きな悲劇である。子ども虐待は脳自体の発達にも影響を与え、さまざまな育ちの障害を引き起こす。

解離についての詳細は「書籍を読んでね」というところだが、たとえば「記憶が飛んでいる(ブラックアウト)」とか「ものごとの実感がなくなってしまい、とても苦しい(離人感)」とか「何かに操られている感じ(被影響体験)」「ふだんとは違った状態へとスイッチが切り替わる(スイッチ行動)」などだそうで、しかも子どもの場合には明確にそうだとは言えない形で現れることが多いのだそうだ。

虐待児のイメージとして、アザがあるとか、世話されていない風貌とか、体が小さいとかが浮かんでいたのだけれど、そういう子はあまり見ない。でも、急に人格が変わったようになる子とか、ある出来事をまったく覚えていない子とか、そういう子なら、フツウにいると思う。受験期でストレスが超たまっている子なんかもそういう感じになる子がいる。そう考えると過度な受験ストレスや過度な療育と称した訓練は虐待に値すると思う。

さて『子ども虐待という第四の発達障害』の中で光と感じられるのが「子育ての未来」という章。
近年、トラウマの研究からレジリアンシー(復元力)という概念が注目されていて、逆境に強い子、ベトナム戦争でPTSDを発症しない人には共通する特徴があることがわかったのだそうだ。
こうしたよいモデルと悪いモデルとをつなぎ合わせて筆者が「子ども虐待に対してなすべきこと」として提唱する4つの指針に、「はい、先生、わかりました。」と素直に思えた。

2007年08月04日

叔父の家と都会のストレス

春の連休に新緑を謳歌する田舎で過ごしてから品川に戻ると風が違うので窒息しそうな感じになる。
20年以上住んでいる品川はわたしの第二の故郷だし、様々な事情があるにしても最終的には自分の意思で選択して住み続けているので「ここは都会で暮らしにくい場所だ」となどと言い捨てることはできないが、たぶん品川の狭い家で暮らすことはわたしの心身のストレスとなっていて、ジワジワと確実に精神と肉体を蝕んでいるのだろう。


田舎の叔父の家に行くと「人間に合う空間」を感じることができる。空間のつくり方、風の通り方、自然との関わり。

この家は、別荘だった小さな建物を建築家の叔父が増改築したので、一般的な住居とは趣が異なる。写真は居間で雑誌を見る夫と(上)とライトホール(光がいっぱいの広い廊下のようなスペース)で本を読む娘(右)。森の中に住んでいるような家だ。蔵書を貯め込むスペースが多いこと、広いデスクがある仕事部屋も快適。家族がテレビの前でゴロゴロするようなスペースはない。

叔父の家のようすはココから

叔父の家で暮らすには「衰退する農村の地方自治」の中に入り、ひとり一台のマイカーを持つことで「車社会を推進」し、薪割りをして冬に備えなければならない。どれもやりたくないことだ。
住居が自然と共に暮らすようにできていても、生活すべてをその方向に切り替えることは難しい。
叔父の家を「いいなあ」とうらやましがりながら、わたしは都会のウサギ小屋であと数年は暮らすことになるだろう。

2007年07月22日

子を愛せない母 母を拒否する子

昨年秋「キレる子」についての講演会で愛着障害という言葉を知った。数ヶ月後に別の講演会で「月刊障害児教育」をもらい、杉山登志郎氏の連載でヘネシー・澄子氏の本を知り、読んだ。


へネシー 澄子 / 学習研究社(2004/10/13)
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子育てしている人も、福祉の人も

何らかの原因から「愛着の絆」が充分に結べないと、子どもの人格形成の大切な部分に障害が起きます。
ひとつは、「自分のイライラや不満を抑える力」に欠け、泣いたらなかなか泣き止まず、衝動にまかせて走り回り、じっと座ったり静かに寝たりしていられません。<中略>多動なのでADHDという診断名が誤ってつけられることがあります。でも本当のADHDと違うのは、「対人関係が築けない」というもうひとつの障害があることです。

教師の観察によってアバウトに算出された6.3%の子どもたちの中にも愛着障害の子どもがいることになる。学校で介助員として子どもに関わることを考えた時、こうした愛着障害の子どもにADHDと同じように接していても効果は上がらないと察せられる。そもそも子どもと介助員との間に信頼関係を築くことが困難かもしれない。

「愛着障害は発達障害に含めるものなのか」とか「愛着障害を特別支援教育の対象とするのか(介助員配置の基準を満たすのか)」などを問うつもりはない。それは現実の子ども達を目の前にしたときに不毛な議論だから。

人なつこいADHD系の子はとてもかわいい。「あ~あ」と思うことをしょっちゅうしてくれるけれど、憎めないヤツ。衝動に弱いというより、外からの刺激によく反応してしまい、それをバカ正直に出してしまって叱られるというイメージだ。それに対して、内なる衝動を人にぶつけ、その反動で自分も傷つくようなキレかたをする子どももいる。こうした子どもは鬱屈したものをこちらに感じさせる。2次障害なのか、愛着障害なのか、それが混ざっているのか。

わたしが介助員としてできることは、もし、衝動のコントロールが弱い子どもの支援に携わるとしたら、その原因がADHDであるか愛着障害であるかを観察しつつ、信頼関係を結びにくいようであれば、より辛抱強く淡々と援助する、ということ。
とは言え、体力的に疲れると「根本原因である親子関係を修復してくれ」と思わずにはいわれないのだが。親子関係の修復という部分では、ごく親しい友人や肉親か専門家でもない限り支援することは難しいだろう。

介助員ごときが関われる限界を感じ取りつつ、それでも「教室で支援の気持ちを持ち続ける大人がひとりそばにいる」ことに何かの意味と力が宿ると信じながら時を過ごす、それもまた介助員にできることのひとつなのかもしれない。

2007年03月16日

クジ引きで選ばれた役員を不適格者と言う『無理』

友人が電話で「HさんとこのT小学校は役員決めが大変だったんだって~」と教えてくれた。なになに、T小学校は確かにPTA大変なんだよね、で、なんでモメたわけ?「それがね、結局誰も立候補がないし、役員が決まらなくて、くじ引きだったんだって。それで、くじ引きで選ばれた本人はやる気もないし、周囲も『この人じゃ役員はできない』ってなったんだって」

は?
なんのための「くじ引き」なんだ?そもそも「くじ引きで決めよう」と皆でルールを決めた段階で「誰が選ばれてもうらみっこなしヨ」ってのが不文律じゃないのか?くじ引きってのはそういうもんじゃないのか?くじが当っても「やれません」だの、ましてや、くじが当った人に対して「あんたじゃダメ」ですの、それって「くじ引きで決めよう」という決断をした責任を放棄してるんじゃないか?『無理が通れば道理ひっこむ』っていうの、そのまんまじゃないんでしょうか。ま~いいけど。人の学校だし。最終的には誰かやるんだろうし。

この話で一番「なんだソレ、へんだよ」って思ったのは『この人じゃ役員はできない』ってところ。確かにPTAは学校や地域とのつながりもあるし、何にもわかってない人には意味不明・魑魅魍魎の世界で渡りきれないかもね。だからと言って「できない」なんてことはない。「できない」って言う人たちはきっと「自分にはできてあの人にはできない」「自分にはわかっていてあの人にはわからない」と思っているんだろう。「いまの委員長にはできるけど、わたしにはできないし、ましてやあの人になんかできない」ってのもアリかな。

たしかにPTAの動きや流れがわかっている人と、まったく初めてですという人では仕事の大変さが違うだろうし、ワケわからん人が担当になれば学校や地域との連携で失敗して大事件に発展なんてこともあるかもしれない。
でも、そんなときは、失敗して大事件になってもいい、くらいの心構えでやればいいんだと思う。PTAの失敗が子ども達の健全育成に色濃く悪影響を及ぼすなんてことはあまりない。せいぜい「今年のPTAはてんでなってない」とか悪い評判が立つくらいのもんだと思う。いいじゃん、悪く言われるくらい、ナンボのもんでもない。

自分がPTAの活動を一生懸命して、システムを改善したり、予算をうまくやりくりしたりという経験があると、ついついPTAに思い入れが大きくなって、後任にも同じようにやってもらいたかったり、自分と同じ苦労はさせたくなかったり、色々考えてしまうこともあるんだけれど「わたしがPTAで何かを学んだように、他の誰かも、その人に合った何かを学ぶんだろうな」って今は思う。だから後任者は、好きなようにPTAをやればいいんだと思うし「どうせやるなら楽しくやりな」ってだけ、思う。

PTAの役員決めに難航する学校が多いからこそ、ラフで参加型である意味無責任でもOKてなPTAがいいと思うんですけどね。はじめは無責任でも、やってるうちに責任感が出てくるのは子どもも大人も一緒じゃないかな。

何年か前にPTA会長を何度もやっている民生委員さんに「教えてください。そもそもPTAって必要ですか?」と聞いたら「そうねえ、普段は必要ないわね。行事とかもいらない。でもいざ何かあったときには親たちが協力していかなきゃならない。普段からPTAで親同士の交流があればいいけど、何もPTAの活動がないと、いざというときに親同士が協力して動く仕組みがないから困るのよ」と教えてくれた。とっても納得。納得したら「つまんね~やる気もしね~PTA行事」でもきちんと参加して役割を果たして行くことが無意味じゃないと思えるようになった。それと、PTA活動をそんなに一生懸命、やせるほど気を使ってにやらんでもいいこともわかった。まあ、やせるほど気を使ったことなんてないんだけどね。

2007年03月14日

群れて共感してスッキリして「問題は持ち越し」はイヤ

8年前。クラス運営に不安や不満を言うママ達があんまりやかましいんで「じゃあ園にどうして欲しいわけ?」と聞いた。わたしがクラス委員だったから、まとめなきゃならなかったのだ。そのやりとりを聞いていたもう一人のクラス委員が「ちょっと待って。その聞き方だと誰も何も言えなくなっちゃうよ」って教えてくれた。当時はわからなかったけれど、今考えれば「やかましいママ達は、クラス運営の問題を解決したかっただけでなく、不安を口にして共有することで安心したかった」とわかる。

「じゃあどうすればいい?」みたいなドライな言い方を仲間うちではしてはイケナイと学んだけれど、実際に何かを解決しなければならない時でも、ママ達は問題解決方法を考えるのではなく不安と不満を言い、それを「そうよね~」とか「わかるわかる」と共有することで解決したような気分になって、はい、終わり、みたいな集会の閉じ方だったりすると、私としては時間の無駄だとトホホなこともある。だって問題は解決してないから、また集まらなければならないのだ。

「あの人ったら、こうなのよ!ほんと、何考えてんのかわかんない。信じられない!」というような所で思考を止めるなヨ、頼むから。ママ友を前にそう思うことは減らない。異なる意見を言う時には「あなたを否定しているワケじゃないのよ、違う考え方なの、あなたより優位に立ちたいワケでもない」という姿勢を言葉を変えてアピールしないと気分を害する人も少なくないし(こういうケースは町会の婦人部のような先輩後輩的な力関係のある集まりで多い)、そういうことは、めんどう臭い。

気持ちを共有することで納得できるママたちは、問題解決能力は一見低い。しかし、人情に厚く助け合いに優れているので、その結束力で問題解決を成し遂げることも少なくない。それに、主婦ひとりの力で解決できない問題は家庭の中でも社会でもある。そんな時、問題は根本的に解決できなくても同じ気持ちの仲間がいれば安心だしとりあえず大丈夫というわけのわからんパワーで今晩の御飯を作り、明日の朝食も作り、そうして生活を健全に営んでいく力は絶大だと思う。だって多くの子どもはこの力に支えられて生きているのだもの。

だから「じゃあどうしたらいいのか。何が可能なのか」というように理詰めで考える者が優れているなんて思わない。それぞれ、違う個性が花開いているだけなんだと思う。個性の違う仲間と一緒に力を合わせてやっていくことは、めんどう臭い。だけど、その面倒臭さを頑張って丁寧にやっていくことが今の私にとっての「共生」かな。

たまたま1年前に「解決しないで共感する」という類似テーマのエントリを書いている。あのとき「共感してあげられる存在になりたい」と、なんとなく「そうじゃないなあ」と感じながら書いた。

いま、個性を尊重する気持ちが以前よりも深く持てるようになり、尊敬できると腹も立たないし、信じることもできるし、一緒にやっていこうと思えるなぁと感じている。「同じようには感じないし、あなたの意見に賛成もできないけど、あなたの選択やその結果の人生と個性を尊敬している」と思えるようになった。こういう姿勢を「共感する」と表現してもいいのではないか。共感不能なワタシの共感方法。

2007年02月02日

生涯教育と講習会

品川区で介助員として働くようになってから、通信制大学で関連科目をいくつか履修しつつ、図書館で本を借りながら勉強し、参加可能な講習会には積極的に出席してきた。昨年は17本の講習会に参加したが、ほとんどが無料か資料代程度の費用で参加できる。日本が生涯教育に力を入れ始めたのはいつの頃からかあまり知らないが、現在わたしは「学ぶ気があればいつでも学べる」環境にあり、なんのかんの言っても日本の豊かさや教育力の高さを身を持って感じている。

17本の講習会でいちばん楽しかったのは「少人数ゼミ式」のものだ。主催者側には気の毒だが、たまたま参加人数が集まらなかったこと、参加者の現場経験が講師の力量を凌駕していたことなどが原因となり、結果的にゼミ形式になってしまったのだ。現場を良く知る参加者が、講師が用意したワークショップによって自分自身の抱えていた懸案事項をより広い視野で考え直すことができていた。「自分で解決する力」を持ち帰ったのだから、いわゆる講演会型の講習会よりも参加者が得るものは遥かに大きい。

いちばんつまらなかったのは浅く広くまとめた子育てセミナー。たとえば「品川裕香先生のお話」と「大河原美以先生のお話」と「虐待」の話がセットになってるというようなもの。こういうのは校長先生のお話にも多い。毒にはならないが薬にもならないという感じ。

参加する講習会はたいがい1時間半程度のものだが、講話のうち「そうなんだ~知らなかった~。すごい勉強になる~。」とか言うようなワクワク発見なんてのは時間にすると10分くらいなものだ。あとの1時間20分は楽しくないし、有名な講師の場合にはその方の著作を何冊か読んだほうがずっと深く理解できる。
先日は品川裕香さんの講演会に参加したが、1時間半彼女の話を聞くだけよりは、彼女の書籍を読み、教育再生会議の議事録(けして議事要旨ではない)を全文読んだほうがいいと思う。しかし今回も「それ知らなかった」というわたしにとってのツボが講演の中にあった。それは「子どものウツ」。

「日本ではあまり言われないが、子どもがあばれる・噛みつくなどは欧米ではウツを疑う。日本の専門家は北大のデンダ先生とか熊本大学の先生くらい」と品川氏はサラっと流した。この講話の内容としては雑談クラスの情報だから。
でもわたしにとっては「この情報が今回の講演会の収穫」だった。

さっそく家で「子どもの鬱」を調べ、傳田先生の名前をみつけ、Amazonで検索をかけ、品川区の図書館で書籍を予約する。(ちなみに区の図書館では傳田ではなく伝田になっている)ここからまた「子どもの鬱と、教室での荒れ、傍にいる大人としてどう関わりを持つとサポートになるのか」というわたしなりの学習が始まる。

2006年11月29日

エラゴン サフィラの下半身

左のドラゴンがサフィラサフィラ、なんだかあなた、ただの恐竜みたい。あなたの「サファイアのように煌めく鱗」はどうしたの?爬虫類みたいな色にされちゃって・・・気高い女としてどう?姿をこう作られて不満はない?

わたしはドラゴン好き。特にドラゴンライダー作品中のドラゴンは気高くて、とっても好き。今まで見た映画のドラゴンで一番外見がマヌケだったのはネバーエンディングストーリーのラッキードラゴンで、まあアレを見てしまえば他はどれも立派なドラゴンではあるんだけれども、サフィラは美しい女性ドラゴンなんだから、こんなに臀部と大腿筋、後ろ足を太くしないで欲しかったわ。そりゃファーザンドウアーなんかじゃ随分と歩いたりしますけども、元来空を飛ぶ生き物なんだから下半身が太くて重かったら飛べませんて。いったい誰よ、デザインしたのは。クリストファー・パオリーニは不満じゃなかったのかしら?

絵は『エラゴン』に登場するドラゴン、サフィラ。『エラゴン』には正統派ファンタジーアイテムが満載。ドラゴン、エルフ、魔法、種族の歴史、秘められた過去、秘密基地に集うレジスタンス、語り部、血のつながり、精神のつながり。自分探しの旅。

原作ファンとして文句つけたいのはサフィラの姿以外にも色々ありますが、それでもやはり楽しみです。公式サイトはこちらソニーマガジンの特設サイトはこちら

2006年11月28日

華胥の幽夢(かしょのゆめ)


小野 不由美, 山田 章博 / 講談社
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十二国記シリーズは面白かった。わたしと同年代の女性では、このシリーズのアニメを見たり原作を読んだりした人は少ないんじゃないだろうか。だから「みんな(ママ友達)が知らないイイものを見つけた」というヨロコビがチョットある。アニメは小春も夢中で見たけど、いつか原作も読んで欲しいな。文庫で11冊出ていて、発刊順に読まなくても大丈夫。途中から読んでも、途中だけ読んでもOK。

文学の分類としたらファンタジーなのだろうけれど、哲学的な色が濃いところが特徴。ネバーエンディングストーリーみたいな「おとぎの国と夢と希望」みたいな感じじゃない。指輪物語のような悪との戦い&理想郷系とも違う。もちろんハリーポッターのような魔法系ではない。類似ファンタジーとしては、ゲド戦記の後年に継ぎ足しされた『帰還』以降の巻。人の営みをファンタジー的な設定で投影しているだけなので、これを読んでも夢の世界には行けない。でも現実の世界を生き抜く力になるね。女性がファンタジーを書くとこうなるのかな。

わたしはおおよそ発行順に読んだのだが、後半の方が哲学度が上がっているように思う。華胥の幽夢に至っては、哲学的なテーマはいいけれど、それを言葉でファンタジーに練り上げるのが面倒になっちゃったのかな?という気はする。だから短編集なのかな?と。

ストーリーを楽しみたいなら『東の海神 西の滄海』がおすすめ。延王はカッコイイ。サイコウ尚隆!!イイ男と言えば利広もなかなか。あ~、でも総じて十二国記シリーズの男達は女子中高生向けに作られているためか「生身」の感じがしないのよねえ、そこは物足りないねえ。仕方ないかぁ。

シリーズ中ナンバーワンのおすすめはタカビーで正義漢の12歳の少女、珠晶が主人公の『図南の翼』。「正しいこと」なんてのは12歳(思春期)にもなればわかるんだよね。でも「正しさを執行する=人間を幸せにする」の図式は成り立たない。だからどうすればいいのかを、あと何十年もの寿命の間にそれぞれの人が考えていくんだなって思った。「ただ正論を言う奴なんか12歳くらいのもんだ」ってことでもある。「正しいと思う(信じる)ことを、どう、人の役に立つシステムに作り上げていくのか」というテーマが『華胥の幽夢』につながっている。タカビー傾向のリーダー的な女子中高生&「あいつリーダーだからっていばっててウザイ」なんて陰口たたいてる女子中高生はぜひ読むべし。


小野 不由美 / 講談社
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2006年11月07日

『王の男』東京国際映画祭

東京国際映画祭のチケットを貰い夫と六本木へ。普段映画を観るのは品川プリンスだから六本木は『王の帰還』から2年ぶり。あら?「王さまは六本木で観る」パターンですな?
韓流ブームでまじめに観たドラマは「冬ソナ」「チャングム」「パリ恋」「チェオク」くらい。『王の男』に出ている俳優さんは人気があるらしいけど知らない。そんなんで、事前に『王の男』の公式サイトでストーリチェックはしたものの、たいして期待せずに出かけた。

それでもまあ、今まで見てきた韓流ドラマとはかなり質の違う作品で思ったより面白かった。
ストーリーの新鮮味はないけれど、クァンデの生き様は素敵。コンギルはキャラクターとして1本の筋が通ってないような気がして不満。コンギルの優柔不断さで女性性を表現しているために「筋が通ってない人物像」に見えてしまうのかもしれないけれど。以心伝心の深い同性愛がコンギルとクァンデの間にはあるはずなのに、「自分にしかこの男(王)の哀しみに寄り添ってあげられる者はいない」となると、コンギルはクァンデに辛い思いをさせてまで王の傍に残ろうとしたりする。しかも王への憐憫だけでなく、与えられた地位にも少しは欲を持っているらしい。このあたりのコンギルは「気持ちが揺れるようす」よりも「翻弄されるようす」で描かれていて、コンギル自身はどう思ってるんだろう?ってイライラする。

俳優陣は映画祭に来日したコンギル役のイ・ジュンギ(上写真右)は人気がある人みたいだけど、やっぱりクァンデ役のカム・ウソン(上写真中央)がうまかったなあ。王様役のチョン・ジニョン(上写真左)もよかった。ま、チェオクの剣のチャン・ソンベク役、キム・ミンジュン(→)のほうが色っぽくてカッコいいと思うけど。チェオクの剣は12月2日(土)午後11:10~0:10からNHK総合で再放送予定)

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