文部科学省が「キレる子」の研究を始めるそうだ。
きれる子:文科省が検討会を設置 科学的に情動解明へ(MSN-Mainichi INTERACTIVE 家庭)
特別支援教育の中では、学習障害・自閉症・ADHD等のさまざまな困難は「軽度発達障害」としてひとくくりに扱われているが、学級担任やクラスメイトにしたら「キレる子」とそうでない子は、とてもひとくくりにできるものではない。障害のあるなし、診断名のあるなしに関わらずだと思う。
『怒りをコントロールできない子の理解と援助 ~教師と親のかかわり~』(著:大河原美以)は、教師からみて「きれている」とか「怒りがコントロールできない」子どもがいて、そのことがクラスの中で著しい問題になっているケースについて、問題を分類し、どう対応/援助すれば良いかを教える本だ。
「軽度発達障害のある子には、担任はこう支援しましょう」ではなく、障害のあるなしに関わらず、怒りをコントロールできない子どもを教育する場面においては、怒りの奥に潜む悲しみや不安に共感するところからはじめましょう、というアプローチが納得できる。
理論的にはちょっと難しかったのだが、具体的なケーススタディの部分はとてもわかりやすい。
たとえば「きれる子」がクラスメイトとトラブルを起こし、教室を出て行ったとき、周囲の子ども達に「わかってあげようよ、許してあげようよ」的な態度を担任がとったときに「ひいき!ひいき!」と言われてしまうが、こういう場合はどうすれば良かったのか等が載っている。
「クラスの保護者の怒りがひきだされていく保護者会」のケーススタディは面白かった。きれる子K君をめぐるハナシなのだが、
などと子どもらが口々に言うので、母親達が「これ以上K君と同じクラスでいるのは教育権の侵害だわ」などと井戸端会議になり臨時保護者会になるという設定だ。・・・昨春の身近な状況と大差ない。
T君:今日もまたK君がきれたよー。先生はK君のことばっかり、かまってるんだよなー。
O君:俺さ、今日K君の教科書拾ってあげようとしたら殴られてさ、それなのに先生、K君の気持ちもわかってやれって言うんだよー。意味わかんねー。
Y子:K君たらまた被害妄想で教室出ていっちゃってね、先生ったら自分勝手で教室出てったK君にいいとこもあるとか言っちゃって、信じらんないー。
R君:K君がきれちゃったら先生もどうしようもなくなって、もう、クラスがバラバラだよ!
こういう場合に、どういう保護者会を開くと傷口が広がらないかという担任としての技術が載っているのだが(回答が見たい人は本を読んでね)、うちのクラス担任たちは、ことごとく失敗してるね。この本を読んでもらいたいですわねぇ。傷口大きくして塩ぬってる感があるもん。
でも、わたしの個人的な感覚としては、この本に書かれている「担任としての技術」には納得しがたい所もある。クラスの保護者に不満があるときにはガス抜きしましょうみたいな感じがするから。
これじゃ共通理解には至らないと思うし、担任とクラス保護者との間で本当の信頼関係は結べないとも思う。でも障害や問題を抱える子どもやその家族のプライバシーを考えると仕方ないのかもしれない。
子育てには、逆説的なむずかしさがあります。たとえば、この本のテーマである「怒りをコントロールできる子になるためには、どうすればいいのか」ということについての理想的な育て方があるとしましょう。
「攻撃的なテレビやビデオは見せない、ゲームはせいぜい30分でやめさせる、食事は自然食でジャンクフードは食べさせない、早寝早起き、睡眠は十分にとる、夫婦は仲良く、父親も子育てに参加する」など。
これらのひとつひとつはそのとおり大事な努力目標でしょう。ところが、このように完璧に子どもを育てようと思ったとたん、それはここまでに述べてきたような「理想的な子育てを求める子育て」になってしまうという逆説に陥るのです。
これらを完璧にこなして、親の言うとおりに子どもが従って育ったとしたら、子どもの感情の発達は支障をきたすことになるでしょう。
理想を求めて子育てをするときに起こってくる問題は、「子どもの顔」を見ていないということです。
療育に偏らず、現実的で実践的な本でした。