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『窒息する母親たち』矢幡洋:著

カテゴリー:書籍・映画 カテゴリー:育児と地域社会

窒息する母親たち
―春奈ちゃん事件の心理ファイル-

矢幡 洋 (著)  毎日新聞社 ¥1,575 (税込)

小学校高学年の子どもがいる母親なら、誰でも「春奈ちゃん事件」を知っているだろう。この本は事件の犯人である山田みつ子さんについて精神分析的に解釈して書かれたものだ。普通は「みつ子」などと呼び捨てにするのだろうが、彼女はわたしの知人なので呼び捨てにできない。

彼女が長男を出産したとき、わたしは長女を出産した。
分娩室で一緒だった。病室のベットは向かい側。
新生児検診で何度か会い、何年かの間、年賀状を交換した。
知人と言っても、ただそれだけのことなのだけれど。

彼女は一緒に入院していた大部屋のママたちの中で、わたしが一番親しみを感じた人だった。彼女の夫も知っている。いつもお寺のお饅頭などを持ってきて同室の母親たちに配っていた。母乳がうまく出ず、乳房がパンパンになっていた私は甘いものを制限していたので「ありがた迷惑」だったのだが、そんな私を気遣って「ごめんなさいね。お寺なもんだから、こんなものばかり持ってきて」と彼女が言ってくれたことを覚えている。

事件当時の報道は彼女に同情的なものが多かったように感じたし、わたしも都会の孤立した子育てにつらい思いをしたこともあり、彼女の気持ちがわかるような気がして何度も泣いた。
そして「今度遊びに行くね」と言いながら、行けなかった自分を責めた。わたしが遊びに行ったところで、彼女の友だちとして仲良くなれたのかどうかさえわからないのだけれど。

先月、小2の男の子がいる横浜在住のAさんとひとしきりおしゃべりして、別れ際、駅に向かって交通量の多い国道1号線の歩道を歩きながら、年末年始の帰省のことなどを話し、彼女は長野の、わたしは新潟の、それぞれ自分達が育った田舎の牧歌的な風景と、いま自分たちが目にしている殺伐とした国道一号線の風景との違いに思いを馳せていた。

「こんな都会に住んでいなければって思うときもあるよね」とわたしが言うと「そうね。あの春奈ちゃん事件のとき、彼女が文京区なんかに住んでなければ、ああはならなかったのにと思った」とAさん。

Aさんは続けた。
「わたしの知り合いで中国人ママがいてね、その人はとても優秀な人なんだけれど、日本人のママたちと付き合いがうまく行かなくて悩んでいたの。それで『窒息する母親たち』を読んでみるように勧めたの。春奈ちゃん事件と母親たちのグループについて書かれている本で、日本的なコミュニケーションがわかるかなと思って。あの本は内容が重いから、あんまり人には勧められないんだけど・・・。
それでね、その中国人のママは「読んでみて、とてもよくわかった」と言ってた」

Aさんに犯人を知っていることを話すと「・・・そっか~。だからか~。さっきからずっと、どうしてかわからないけれど、この本の話をしたい、伝えなきゃと思っていたのよ」と言われた。
こうして、しばらく思い出さずにいた山田さんのことを『窒息する母親たち 春奈ちゃん事件の心理ファイル』で、もう一度考えてみることになった。

まえがきから一部を紹介しよう

本書を書き進めながら、「これは防ぎ得た事件だ」という無念の思いがこみあげてくるのをどうしようもなかった。本書が母親の精神衛生の問題に対する理解を深め、このような事件を防止する一助となることを願って止まない。母親たちの精神的プレッシャーは並々ならぬものであり、母親のストレスの訴えを周囲が軽視しないような社会の理解が必要であると思う。

筆者の矢幡洋氏は、犯人の山田さんとご自身とを同じ「分裂気質者」としている。静岡の実家や元勤務先など彼女の人生をたどり、その時代にあったであろう彼女の心の動きを自分と重ねながら洞察する。
彼女の傍にいた誰か、たったひとりでも、彼女を理解してくれる人がいなかったのか。あるいは、自分であれば彼女を理解し得たのではないか、という矢幡氏の無念さがわたし自身の無念さと重なる。

しかし、矢幡氏が丁寧に記した彼女の足跡を読み進めるにつれ、事件から6年の間、わたしが勝手に「彼女のイメージ」を作り上げていたことがわかった。
この本を読むまでは、Aさんと同じように「彼女が音羽に住んでいなかったら、あんなことにはならなかった」と思っていた。「彼女は追い詰められてしまったんだ」と思っていた。
第一子を、地域や縁者の助けがない都会で育てている、田舎出身の、核家族の母親たちのつらさを-つまり、わたし自身の過去のつらさを、彼女が代弁したように感じていたのかもしれない。

でも、本を読んでわかったのは、彼女が苦しみの果てに犯行に及んだ一番の原因は、つらい子育て環境にあったのではなく、彼女自身の「柔軟になれない、かたくなな性格」にあったということ。
問題解決能力の低さ、と言い換えてもいいかもしれない。

わたしは、批判的な気持ちで彼女をとらえ始めた自分を「仲間を見捨てて裏切ったヤツ」のように感じている。本を読む前と同じように、彼女があわれだという同情は強くあるのだけれど。いまは「追い詰められた」のではなく、彼女自身が自分を追い詰めていたことがわかる。

エピローグ「罪と罰と初公判」では、初公判の日、矢幡氏が彼女を目前にして心の中で呼びかける。

あなたは、今、自分はこの犯行を犯すように定められてこの世に生まれてきたのだ、と思っているのではないですか。
そんな運命があってたまるものか。
春奈ちゃんも、春奈ちゃんの家族も、そしてあなた自身だって、みな不幸になるために生まれてきたわけではないはずだ。人間は誰しも幸福になるために生まれてくるのではないですか。
矢幡氏は彼女の「重い刑を受ける」という意思を感じ「もしも可能な限り重い刑を受けるということが、あなたの選んだ道であるのなら、私にはもう何も言うことはありません。お行きなさい」と力なく見送っている。

「かたくなさ」というか、無骨さというか、一途さや「最後は騒がず自分で始末をつける」という彼女の態度は、日本においては美学として受け入れられることが多いが、その精神的傾向が生きづらさを産み、反社会的な状態や悲しい結末を引き起こす原因になってしまうのではないか。

著者が言う「日本社会で広く観察される集団の特性」は以下のとおり。
1.ひたすらフレンドリーに振る舞うこと
2.他人と違ったことをしない
3.とにかく「そうね」と応えること
4.群れる時間を長引かせること
5.安全な空気に依存する
6.「自分たちは同一のランク」という前提
7.小さな優越を競い合う
8.勝ちすぎてはいけない
9.抜け駆けは許さない
10.ミクロな対人距離が重視される
11.悪口はこっそりと
12.異質な存在には排他的
13.敵を探して団結すべし

おそらくこの部分を読み、Aさんの友人である中国人ママは日本人集団の特性を理解したのだろう。PTAなどにも、こうした特性が見られることはある。

いまは「みんなが一緒」の時代ではない。
ママたちだって「仲良し」だけでうまくやっていけるわけじゃない。
同じ幼稚園や学校へ子供を通わせていても、各家庭の経済状態や価値観は大きく違う。
自分をしっかりと持ち、相手と折り合いをつけるための交渉ごとがきちんとできなければ、自分にも相手にも快適な環境(社会)を作り出していくことはできない。西洋化した個人主義の考え方がいいと思うわけじゃないけれど「ひたすらフレンドリーに振る舞う」のは、問題に対峙し、交渉を重ねる難しさからの逃避でもあると思う。

自分を殺せばいいという姿勢ではなく、他人との衝突をいたずらに恐れることなく、話し合い、譲り合い、人とたくさん関わり合いながら、
彼女にも、残された生を歩んで欲しいと、いま、強く思う。

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2005年01月23日 21:40に投稿されたエントリーのページです。

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